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 以下の出来事は、実際に醍醐寺の仲田管長・壁瀬宗務総長らが、障害を持つ龍空住職の実妹知子さんを排除するために行ったものです。
 経緯等はホームページの内容と若干重複しているところもありますが、経過を明らかにするためあえて載せています。ご了承ください。
 この虐待問題に関わった醍醐寺の関係者たち…仲田順和管長、壁瀬宥雅宗務総長、岩崎豊海(自称岩間寺院代)、藤本文良、長瀬福男広報室長、壁瀬慈峯(宗務総長長男)


《岩間寺での虐待問題》

○この虐待問題の背景
 この障害者・高齢者に対する虐待の舞台は、滋賀県大津市にある西国三十三所第十二番霊場で、真言宗醍醐派の末寺岩間山正法寺(通称岩間寺、以下岩間寺)です。
 岩間寺は、元正天皇の勅願寺として1300年の歴史があり、往昔は七堂伽藍がそびえ、たいそう隆盛しておりましたが、度重なる火災や、無住の時期を繰り返し一時は荒廃を極めていたそうです。
 今から100年ほど前、故田居龍空住職の祖父が地元の懇願で岩間寺の住職として迎えられ、以来、田居家が岩間寺を護持してからは荒れ果てていた境内も次第に整えられ、龍空住職の時代には、見違えるように山内も復興され、檀信徒も多く訪れ、境内は賑わっておりました。
 平成19年1月20日、田居龍空住職は病に倒れ、急逝されました。突然のことで、信者らの悲しみは測り知れないものでしたが、檀信徒や関係者は、龍空住職の次女である妙淨副住職が当然次の住職になるものと誰も疑いを持っておらず、安堵感すら抱いていました。
 妙淨副住職は、龍空住職生前より、住職の代理をしていましたし、檀信徒にとっては親しみもあり、住職生前より次の住職になってくれることを望んでいました。龍空住職の妻である田居良子さんも住職をよく支え、檀信徒との信望も厚く、これからは二人を中心に岩間寺を盛りたてようと誓っていました。
 ところが、龍空住職の百か日法要も終わらぬうちに、醍醐派現管長醍醐寺座主仲田順和師(以下、仲田)より、田居良子さん、妙淨副住職のもとに『自分(仲田)が岩間寺の住職になったので田居良子、妙淨両名は2週間以内に岩間寺から出ていけ』という内容証明が突然届き、退去期限の2週間後には即座に退去の裁判が提起されました。
 こんな非情なことがあるものかと、檀信徒一丸となり裁判で戦いましたが、十分な審議が尽くされず、平成21年1月末に住居と職場明け渡しの決定が下り、その1カ月余後の3月4日に両名の境内からの退去の強制執行が醍醐寺管長仲田及び壁瀬宥雅宗務総長(以下、壁瀬)ら醍醐寺関係者によって執行されました。
 仲田は岩間寺から、田居龍空住職と関係のあるもの、檀信徒・信者すべてを一刻も早く排除することが目的だったのです。
 この強制執行でそれが簡単に実現するはずでした。

○仲田順和管長の誤算
 龍空住職には、足等に障害を持つ知子という妹がいます。本件の虐待被害の当事者です。
 長年岩間寺の庫裏(僧侶や家族の住居)に住み、朝4時には起床し、御本尊へお供えするお仏飯やお茶湯の用意、駐車場の受付や、信徒会館の手伝い、庫裏や境内の掃除等々、岩間寺職員として裏方で岩間寺を支えていました。
 足が不自由ではありましたが、仕事に対する責任感は強く、他の職員からも頼りにされていましたし、お寺にはなくてはならない存在でした。
 勿論、知子さんは少しの給与より住居費(含光熱費)として毎月、一定額をお寺の会計に支払っていました。知子さんの話は、仲田や壁瀬が提起した先の立ち退き裁判でも何の議論にもあがらず、妙淨副住職・良子氏の強制執行が決定した時も勿論、執行対象ではなく、そのまま職員としてお寺の庫裏(住居)に残ることが出来、本人も今まで通りご本尊に仕えるつもりでいました。

 しかし、どうやら仲田らは強制執行の当日まで知子さんの存在を把握していなかったようです。

 それを当日知った醍醐寺より仲田順和管長の代理として強制執行の立ち会いに来ていた醍醐寺広報室長長瀬福男氏と醍醐寺の僧侶たちは慌て、裁判所の執行官に、彼女も一緒に排除するよう強く強く要請しました。
 執行官は長瀬らのあまりのしつこさに呆れ果てていましたが、執行官が「彼女(知子さん)は職員であり執行の対象ではない」と強く長瀬氏らの申し出を否定しました。

○僧侶とは思えぬ仕打ち〜毎日毎日精神的・肉体的虐待が続けられる〜
 ところが、知子さんには副住職らが排除された途端、職を奪われ、給与も支払われなくなりました。既存の職員が「知子さんは駐車場の管理も、会館の仕事もしていたので手伝ってもらいたい」と進言しても仲田の代理で来ていた長瀬氏や醍醐寺の僧侶は職員に「働かせてはいけないと(仲田)管長からいわれています」と言い、今後知子さんに一切、手助けしてはいけないと強く言いました。
 お寺の境内には食堂があり、参拝者は勿論のこと、そこが職員の昼食の場でもありました。知子さんもそこで手伝いをし、食事をしながら、職員や信者さんとコミュニケーションをするのが唯一の楽しみでしたが、食堂担当の職員は、「職員でない者に食事をだすなと醍醐寺の僧侶からいわれ、職員が体の不自由な知子さんに対し、居宅まで賄いを届けたり、好意の品を差し入れたりことを禁じ、その上、知子さんに温情をかけた職員にパワハラまで行いました。
 知子さんは、素直で気さくな性格で、以前から職員さんや信者さんからよく目にかけてもらっていましたし、人間として弱い者を労わるのは当然の行いであるにもかかわらず、醍醐の僧侶はそれすら許しませんでした。
 最終手段として職員への食事はうどんのみとされ、ご飯を炊くこともおかずを出すことも許しませんでした。賄いの人がご飯を炊くと、醍醐の僧侶は烈火のごとく怒ったそうです。これは、知子さんへの食事差し入れを絶つ、仲田らの姑息な手段でした。…うどん等の汁物は、信徒会館に行かないと食べられず、差し入れできないからです。足の不自由な知子さんの足には、坂道・砂利道の多い境内を通る信徒会館までの道のりはあまりにも遠く、徐々に行く事が出来なくなってきました。

○僧侶の精神はどこへ
 知子さんは、以前より定期的に病院に通っていました。参拝者の多い日中は車両の乗り入れを遠慮し、朝早くに出かけていました。しかし、醍醐寺が管理してからは、具合が悪くなって病院へ行く為送迎車を頼んでも、家の前までの車の乗り入れを許してもらえず、天候の悪い時の駐車場までの距離は知子さんの限界を超えており、30分以上足を引きずりながら歩いて行かなければならないこともありました。倒れそうになりながら懸命に歩いて行く知子さんを、醍醐の僧侶は冷ややかに見ていたそうです。
 醍醐寺の僧侶の乗り入れ禁止の言い分は、参詣の方の妨げになるから…だそうですが、醍醐寺の僧侶たちはどんなに境内が混雑していても、まっ昼間でも平気で車を乗り入れ、駐車したままで参拝者の方々からの苦情があっても平気のようでした。
 知子さんは、慕っていた兄(田居龍空住職)を亡くしたショックが癒えぬうちに、実の姉のように頼っていた田居良子(義姉)さんを奪われ、自分の住まいにもかかわらず行動範囲も制限され、夜も寝られなくなり、徐々に精神的に追い込まれ衰弱していきました。
 その間、一度転倒により出血し、救急車で運ばれたことがあります。顔から酷い出血をし、立ち上がることも出来ない知子さんを見つけたのは醍醐寺僧侶でしたが、助けを求めた知子さんに手を貸すこともなくその場を立ち去ったそうです。
 良子さんは、知子さんの看病につき添うよう醍醐寺関係者に願い出ましたが認められず、知子さんは仕事も収入も断たれ、外部との接触も妨害され、荷物受け取りの拒否などあらゆる嫌がらせを繰り返され、精神的にも肉体的にも追い込まれ、二ヶ月ほどでついに歩くこともままならない状態になりました。
 それなのに醍醐寺の僧侶たちは、あからさまに職を奪っておきながら「(知子さんに)三食昼寝付きで給与を渡す必要はない。働けないのだから出て行って当然。」と悪びれることもなく言い放つしまつです。
 仏に仕え、人を救い導く立場のはずの僧侶らの言動とは思えません。突然拠りどころを奪われた者が精神的重圧に耐えられず、持病を悪化さすことなど容易に想像出来ます。そもそも仲田管長らの非情な措置さえなければ、彼女は今でも穏やかにお山(岩間寺)にいてご本尊のお世話を出来ていたかもしれないのです。
 また、常駐の僧侶らは、彼女の持ち物を勝手に使ったり持ち出したりと、彼女の人権はありませんでした。

○知子さんの追い出しを画策
 仲田は、知子さんの親族を醍醐寺に呼び、知子さんを一日も早く岩間寺から連れ出す様求めています。直接手出しすれば人権問題になるかもしれないと警戒したのでしょう。
 その親族は、長年知子さんと音信もなく、知子さんが心許す人物ではありませんでした。仲田は、その親族に知子さんを連れ出すことが出来たら(その親族を)醍醐寺の職員に迎えるつもりがある、というような話をちらつかせたようです。
 そして、その親族は知子さんが週2回通っているリハビリ施設に知子さんを渡す様出向いてきました。たまたま、良子さんがその話を知り、市の福祉担当者と共に駆けつけ、その親族に抗議しました。最終的には知子さんがどうしたいかを尊重することになりました。知子さんは「奥さん(良子さん)や妙淨さんと一緒にいたいし、他の人は信じられない」と、施設の担当者や市の職員らの前で自分の意思をはっきり言ったので、連れ出されることはありませんでした。

○虐待とみなされ緊急避難
 その後、知子さんは足がますます不自由になり、気力もなくなり部屋のベットの上で脱水症状になりました。
 そこで、これまでの経過を踏まえ、仲田らの対応は虐待に値するとみなされ、大津市の福祉担当の方々の判断で『虐待により緊急に避難を要する事例』ということで知子さんは、一時的に施設に保護して貰えることになりました。
 お陰さまで、現在は病状も安定し優しい施設の職員さんに囲まれ穏やかにすごしています。勿論、岩間寺の観音様へお仕えしたいという気持ちは全く揺らいでいません。
 しかし、醍醐寺の話や当時のことを思い出すような話になると、身体を震わせ、怒りと恐怖を露わにします。
 仲田らは、現在も彼女が岩間寺に帰ってくることを警戒し、知子さんの部屋の窓にはベニヤ板を打ちつけ、入り口には不要物を積み上げ嫌がらせを続けていますが、彼女は治療に専念し、一日も早くお寺に帰れるようリハビリを続けています。

 しかし、いくら体調が良くなっても知子さんが仲田や壁瀬、醍醐寺関係者から受けた心の傷は癒えることはありません。

 知子さんは言うのです。『またお寺に帰ったら、御本尊さんにお仕えしたい。お山(岩間寺)に帰りたい。早く良くなりたい。また奥さん(良子さん)や副山主(妙淨)さんといっしょにいたい。でも醍醐の人らがいるお山は嫌や。あの人ら(醍醐寺の僧侶)は坊さんちがうで、鬼や…』と。

 仲田や壁瀬、その他醍醐寺僧侶は、己の私利私欲実現のため、弱い立場の人間を苦しめておきながら、今日も衣と袈裟を纏い、全国の皆様に法を説いています…。